ヌワラエリヤ


  1 ヌワラエリヤとは?

ヌワラエリヤは茶産地であると同時に、『リトルイングランド』と呼ばれる英領時代からの 避暑地としても広くしられています。日本でいう軽井沢のよう な感じなのです。

鉄道が敷かれ、歴史を感じさせる白亜のリゾートホテルが建つ山々の町の周囲に、茶園が広がり、製茶工場が点在しています。  ヌワラエリ ヤはスリランカ中南部に位置し、標高1800m 山岳地帯の高地に位置するため、昼夜の温度差が大きく、渋み成分のタ ンニンと甘みを作るテアニンがバランスよく含まれたお茶が育ちます。

  2 ヌワラエリヤは渋み香りの強い

スリランカにヨーロッパ人のリゾート地としてイギリス人 によって開発された地域があります。それがヌワラエリヤで す。  紅茶の栽培が始まる前は人が定住しない未開発の地だったが、イギリス人 が紅茶を持ち込んでから、英国様式の建造物が次々と造られ、避暑地として開発されました。  現在でもヌ ワラエリヤは、「リトルイングランド」としてヨーロッパの人々に親しまれています。  リゾート地として開拓された理由には、気候のよさがあげられます。  ヌワラエリ ヤは標高1800メートルの場所にあり、スリランカの紅茶産地の中でももっとも高いところに位置するハイ・グロウンです。日中の気温は20から 25℃、朝夕は5から14℃とすごしやすいです。昼と夜の温度差がはげしい気候は、ハイ・グロウン特有のもので気温の違いが紅茶の栽培にも大きく関係しま す。

3 ヌワラエリヤの歴史

 標高1800メートルの地にイ ギリス人の家々がたくさん立ち並ぶ美しい街があります。ヌ ワラエリヤは紅茶園の開拓によって生まれ、栄えたイ ギリス人の町なのです。ヌ ワラエリヤは紅茶の産地だけれはなく、避暑地としてもイ ギリス人たちに親しまれていました。

イギリス人開拓者たちが集まってパーティーを開いたヒルクラブは、19世紀の終わりごろ建てられたクラブハウスなのです。外壁はイ ギリスのユーツウォールズ地方で見られるハニーストーン(蜜蜂色)を真似た石でつくられ、表玄関は男性のみで、女性は裏口からでしか入ることので きない つくりになっています。



キャンディを南に向かって1時間、峠の途中に ランボダの滝がある 標高3200ft (約975m) とあります ここにレストハウスがあり食事が出来ます(ものすごい坂を下ります・・・歩くのも難儀なくらいですよ) 絶景の元、ゆったりできます


紅茶工場

ランボダの滝から走ること1時間 辺りは茶畑一色、まぁ急斜面、断崖含めて至る所に植えてありますね

茶摘みをしているのはタミル人の女性(労働力として南インドからつれてこられた名残ですが茶畑で働いている90%がタミル人だそうです) 今日は1月1日元旦(スリランカでも祝います)なので茶摘みの人はほとんどいなくてかろうじていた方の写真です ← 見学した工場も機械は止まってます この機械は、葉っぱを乾かす機械 この部屋、普段はものすごく暑いそうです

見学したのは 「ラブーケリー・ティー・センター」
← 元旦なので着飾って出社したそうです(日本の着物着ての出社と同じだね (^。^)
→ こちらの方は
ティーのテレビコマーシャルにも出演した方
試飲場でお会いしました
美味しい紅茶が飲めますのでぜひ!!
当然 紅茶の土産物が豊富にあります


ヌワラ・エリア

ヌワラ・エリア: ヌワラとは町・都市 エリアは光あふれる町 スリランカの高原地帯のほぼ中央、周りは全て茶畑 イギリス植民地時代は避暑地、今も名残の建物等がたくさんあります なんとアジアで一番古いゴルフ場もここヌワラ・エリアにあるんだよ 泊まったホテルがセントアンドリュース・ホテル 英国してるよね (^_^)b 夜はあんまり寒いので、湯たんぽがベッドの中にありました 日本でも滅多にお目にかかれないものをここ熱帯のスリランカで体験するとは夢にも思わなかったっす (^。^)

↑ 目抜き通り
ここのCD屋さんは日本語べらべら
去年まで日本に出稼ぎに行ってたんだってさ
おかげでお目当てのCDがすんなり出てきて大ラッキー

→ この日、1月2日は始業式
寒いから学生はカーディガンを着てます
息は白いです

ここヌワラ・エリアで一番有名な建物 ピンクに塗られた郵便局 1828年建造 この町で一番古くイギリス植民地時代ですな 当然機能してまして、中は意外と近代的(失礼)

日本への葉書は → このポストから出しました ここスリランカのポストも赤 葉書は無事着いてます

どうです、ヌワラ・エリア 格別遺跡とかがある町ではないけれど、こぢんまりしていて良い町です メインストリートを中心に50m位に店が集まっていてなんでもあります 近くにはスーパーもあって、雑貨何ぞを仕入れたりしました(土産に最適!) そういえば観光客用の土産物屋はなかったですねぇ